第一遭遇

2007年07月28日 11:45

「はぁ〜い、あなたがダン・ホーキンス?」
 突然声をかけてきた女は、何の断りもなしに隣の席に座った。
 軽く睨みつけるが、女は大して気にした様子もなく、マスターに酒を注文した。
「一般人っぽいカッコしてるのね。凄腕のハンターにはとても見えないわ」
「依頼か、苦情か、冷やかしか」
「残念。どれもハズレ。次の仕事で組むことになったから、挨拶しにきたのよ。エリス・カートン。依頼主から聞いてない?」
「聞いてねえ」
 この女と組めだと?
 組むと言うからには同業者なんだろうが、全身赤で統一するようなこんな派手な女が暗殺者?まるで撃ってみろと言ってるようなものだ。
 大体、エリス・カートン?聞いたこともない。
 依頼人から話が来たわけでもないし、信じるに値する話でもない。
「やだ、こんないい女が隣にいるのに無視?あたしじゃお気に召さなかった?それとも緊張して口もきけない、とか?」
 軽い女だな。その発言が気に入らなくて横目で睨みつけると、女は蟲惑的な表情で応えた。
「固いオトコは嫌いじゃないわ。でも」
 女は品定めをするように視線を巡らせた。
「ちょっと細すぎ。もう少しがっしりしてる方が好きなの。それとね、お酒は美味しい顔で飲むものよ。食事も一緒。何事も楽しめる人がいい」
「……あんたの好みなんてこっちは興味ないんだが」
「ああ、でも声は悪くないわ」
「おい」
 いい加減にしろと咎めようとすると、女は全く気にしない様子で出てきた酒を手に取った。真っ赤に塗られた爪が毒々しい。まるで蠍だ。
「つれないオトコはあまり好きじゃないの。やっぱりどうせならイロイロ楽しみたいじゃない」
 ねえ?と同意を求めるように寄越された視線が鬱陶しい。振り払うように前を向いて酒を飲めば女がクスクスと笑った。
「そっちがそういう気ならそれでいいわよ。どうせ今日は挨拶に来ただけだもの」
 そう言って女は酒に一口つけただけで席から立ち上がった。財布から金を取り出し、マスターに手渡すともう一度だけこちらに顔を向けた。
「今度は三日後に会いましょう。楽しみにしてるわよ、ダン・ホーキンス」

従兄弟 6(完)

2007年07月26日 00:07

 しかし、あの言い方だとイエルグスはセルディーナに肉親の情を抱いているだけだということになる。だが、あの時の二人はそれ以上の関係に見えたのに。
 そんなイエルグスの視線を感じ取ったのか、ベルナールは億劫そうな雰囲気でため息をついた。
「邪推しないでくれ」
「そんなことは」
「してるだろう?君の優秀な秘書が僕にたぶらかされるんじゃないかってね。安心するといい。僕はセルディーナの幸福を祈っているからね。彼女相手にいい加減なことはしないよ。神に誓ってもいい」
 この男でも神を信じるのか。そちらの方を疑わしく思いながら、イエルグスは「そうか」と短く答えた。
「わかった、気分を害して済まなかった」
「気にしなくていい。君は僕と違って責任ある身だからね。慎重になるのは当然のことだよ」
 謝ることじゃないと笑うベルナールだが内心どう思っているのか。昔からこの従兄弟の真意は測れない。だが、これ以上は何も語らないとその背中が語っている。何を言っても無駄だ。

 会場に戻ったイエルグスは、後から入ってきたベルナールが女性陣に囲まれるのを複雑な気持ちで見ていた。
 未来の伯爵家夫人の座を狙う女達の顔には気持ち悪いくらいの笑顔と媚が張り付いている。イエルグスだったらいい気になるよりも逃げ出したくなる状況だ。それなのにあの従兄弟はよく平気なものだとその表情を見てみれば、相手をしながらもその瞳は醒めていた。それが先程目にしたセルディーナに対するものとはあまりにかけ離れていることに気づく。
 あんなことを言っていたが、やはりベルナールは――。
 これではあながち邪推だとも言い切れない。
 しかし、ベルナールは伯爵家の跡取りでセルディーナは使用人だ。イエルグスの目の届く範囲でもしものことが起こるのは面倒だ。次から、もう少し気をつける必要があるかもしれない。
 イエルグスは仮面の秘書を思い浮かべ苦い顔になった。

逢魔が時

2007年07月25日 00:00

 昇降口を出ると、秋でもないのに真っ赤な空が広がっていた。
 なんだか嫌な感じがする。
 恐怖すら覚えるような禍々しい赤を見ているのが嫌で顔を背けた。
「あれ、木嶋君」
 後ろからかけられた声に反応して振り返ると、クラスメートの姿があった。
 こいつも帰りなのか、ここで一緒になるのは珍しいな。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、小柄な彼女は隣までやってきて首を大きく後ろに逸らした。
「すごいね」
「うん、びっくりした」
 何が、なんて言わなくてもわかった。
 それきり俺達は言葉を紡ごうとしなかった。
 何も言ってはいけないような気がした。
 だから彼女が無言で歩き出した時、俺も同じように無言でその後ろをついていった。
 こいつも駅だっけ?
 記憶を辿るが思い出せない。
 同じクラスになってそれなりに時間が経つのに、何も知らない。
 普段話をしないクラスメートなんてこんなものだ。
「あ、暗くなってきた」
 彼女の言葉に顔を上げると、先程と比べると随分と薄暗くなっていた。空が変わるのは早い。
「木嶋君、知ってる?」
「何を?」
「こういうのを逢魔が時って言うんだよ」
「どうしたんだよ、突然」
 逢魔が時なら知ってる。災いが起こる時間のことだ。確かに、時間的には今がそうなのかもしれないけれど。
「ねえ」
 彼女は足を止めて俺と向かい合った。
「木嶋君は私の名前知ってる?」
「そりゃ勿論、クラスメートの名前くらい……」
 知ってるに決まってるだろ。
 そう言おうとして、俺はあることに気づいて言葉を失った。
 目の前に立つ少女をまじまじと見る。
 小柄な身体。細い手足。肩に触れるか触れないかのところで切り揃えられた髪。くりっとした大きな目。なかなか印象的な少女だ。普通なら名前を忘れるなんてことは考えられないタイプだ。
 けれど。
 知らない。
 覚えていないのではなく、知らない。
 自分の手足が冷たくなっていく。
 どうしてクラスメートだと思ったのか。
 今、自分の目の前にいるのは全く知らない少女だ。なのに、クラスメートだと思い込んでいた。
 背筋が凍りつき、冷や汗が流れる。
 誰だ。
 この少女は何者なんだ。
 一歩後ろに下がると、少女はニィと不気味な笑みを浮かべた。辺りはもう暗いのに、瞳が赤く光った。
 逃げろ!
 本能が告げるままに来た道を引き返そうとする。
 しかし、次の瞬間物凄い力で腕を引っ張られて身動きがとれなくなった。小さな身体が腕に絡みついて、声にならない悲鳴を上げる。
 正面に回りこんだ少女は不気味な笑みを浮かべたまま俺の耳元で囁いた。
「もう遅いよ」

従兄弟 5

2007年07月24日 00:16

 セルディーナの姿が小さくなったところで、イエルグスは話を切り出した。
「本当に、毎回のこととはいえ君の人気には驚かされる」
「人気という程のものではないよ」
「あれだけのレディ達に慕われていてよく言うよ。君も悪い気はしないだろ?」
「そうだね」
 肯定しつつも、ベルナールの声には感情が皆無だった。大して興味がないらしい。
 それなら、とイエルグスは半眼を伏せる。
「どうやら、君とセルディーナは私が思っていたよりも親しかったようだな」
「……そんなふうに意味深に言われても困るよ」
「最初に君達を見つけた時、恋人の密会のように見えた」
 ストレートに言うと、ベルナールはフッと笑った。
「君は意外とロマンチストなんだね」
「そんなことはないさ」
「じゃあなにかな。僕が君の屋敷で遊びに興じているとでも思った?」
 皮肉な口調で尋ねられ、イエルグスは「そんなことは」と否定する。
「私はただ、君がセルディーナを大切にしているように見えたと言っているだけだ」
 言い返すと、ベルナールは口を噤んだ。そして前に零れていた長い髪を後ろに払った。
「それはいけないことかな」
「ベルナール?」
 その言い方は即ち、肯定したということなのか。
 目を大きくしたイエルグスを見て、ベルナールは微笑する。
「君にだって特別な人くらいいるだろう?」
「それは……」
「幼い頃、うちにはセルディーナしか同じ年頃の子どもがいなくてね。よく一緒に遊んだものだ」
 セルディーナはカルベス伯爵の妻の遠縁の娘だ。幼い頃に両親を亡くし、伯爵家に引き取られたのだという。
「本を読んだり、庭で遊んだり、一緒に領地に出かけたこともあった。大きくなるにつれ一緒にいることも少なくなり、今では滅多に会わなくなってしまったが、彼女を大切に思う気持ちは変わらない。妹がいたらこんな感じだろうかと何度も思ったものだ」
 妹と聞いてイエルグスの胸が痛む。双子の妹と共に生まれてきたのに妹という存在がよくわからないイエルグスと、女兄弟はいないのに妹とも呼べる存在がいるベルナール。なんていう皮肉だろうとイエルグスは眉間に皺を寄せる。

従兄弟 4

2007年07月22日 00:19

 イエルグスがセルディーナに声をかけるよりも早く、ベルナールが「ああ」と気づいたように声を上げる。
「庭を歩いていたら奥まで入り込んでしまってね。表がどちらかわからなくて困っているところを彼女が見つけてくれたんだ」
 ここまで案内してもらったんだよ。
 セルディーナと一緒にいる理由を話すベルナールは不自然なものは感じさせなかったが、かといって真実を話しているとも思えなかった。
「そうか。それはご苦労だった、セルディーナ」
「いえ」
 ひとまずセルディーナを労い、イエルグスは再びベルナールの方を向く。
「この庭の奥は夜になると迷いやすい。人に会えて良かったな」
「ああ。屋敷の中から彼女に声をかけられた時は少々驚いたけれどね。でもよく知った仮面だったから」
 確かに、暗い場所であの無機質な銀の仮面を被った彼女と遭遇したら誰もが驚かずにはいられないだろう。セルディーナが秘書としてやってきて2年になるが、未だにイエルグスもドキッとすることがある。
 それにしても、ベルナールの様子だ。イエルグスからセルディーナが見えないように立ち、いかにも彼女を庇っているようだ。
 これはもしかして、本当に?
 尋ねてみようか。しかし、セルディーナの前で言葉にするのはあまりにも不躾だ。まずはベルナールと二人きりになるべきだ。
「ベルナール、そろそろ戻らないか?君が一緒でないと私も戻れそうにないのでね」
 一人で戻ったら君を待ち焦がれている女性方をがっかりさせてしまう。
 最初と同じように軽い口調で誘うと、ベルナールは「それは大変だな」と苦笑した。
「今日の主役にそんな思いをさせるわけにはいかないね。外の空気も充分吸ったし、君と一緒に戻るとするよ」
 ベルナールは振り返ってセルディーナを見た。
「さっきは本当に助かったよ、ありがとう」
「いえ、お役に立てて光栄です」
 セルディーナがスッと頭を下げる。それを見てイエルグスとベルナールは歩き出した。

従兄弟 3

2007年07月21日 11:34

 ただ久し振りに会った知人同士が話している様子には到底見えない。元々は伯爵家に世話になっていたセルディーナだ。ベルナールはモンテーニュ家を訪れる際には必ずセルディーナに声をかけていくし、二人がそこそこ親しいことは感じ取っていた。けれども、言葉を交わすと言っても二言三言であって、主人と使用人の枠を越えるものではなかったから二人の仲を疑ったことなど一度もない。
 そもそも、セルディーナがベルナールの女性の好みかと言われると、そうではないように思うのだ。こう言っては失礼だが、何しろセルディーナはあの仮面が問題だ。下には醜い火傷の痕があるのだという。ベルナールと噂になる女性には一貫性がなかったとはいえ、セルディーナまでもが射程内だったと言うのだろうか。でも女性は外見だけが全てではない。第一、ベルナールのあの表情を見たら彼がセルディーナを愛しているのだと信じずにはいられない。更にセルディーナの方もまんざらではないように見える。
 しかし、伯爵家の跡取りと使用人の恋が許されるはずがない。せいぜい、一時の遊びくらいでしか――。
 そこまで考えて、イエルグスはベルナールがセルディーナを新たな遊びの相手に選んだ可能性に辿り着いた。だとしたら厄介だ。向こうの方が家格が上だとはいえ、イエルグスの屋敷内でベルナールに好き勝手させるつもりはない。また、セルディーナは優秀な秘書だ。彼女の仕事に悪い影響が出るようなことがあればイエルグスにも被害が出る。それは阻止しなければならない。
 イエルグスは俯いて息を吸った。
「ベルナール」
 少し大きめに名前を呼び、顔を上げた次の瞬間には、ベルナールとセルディーナの距離が開き、二人揃ってこちらを見ていた。ガラリと変わった空気の中、イエルグスは二人の元へ歩いていく。
「ここにいたのか、ベルナール」
「ああ。ちょっと外の空気が吸いたくなってね。それより主役の君がこんなところにいていいのかい?」
 立ち上がって答える従兄弟に、イエルグスはおどけるように両手を広げて肩を竦めた。
「レディ達からお前の姿が見えないと不満を言われたから探してたんだ」
「それは災難だったね。悪いことをした」
「いや、構わないさ。私も少し抜け出したいと思っていたところだ」
「流石は従兄弟殿。考えることも似ているとは」
 イエルグスはベルナールと軽く笑い合うと、ベルナールの後ろに控えていたセルディーナに目を遣った。

従兄弟 2

2007年07月20日 10:41

 パーティーも佳境を迎えた頃、一人の女性がイエルグスにベルナールの所在を尋ねてきた。見回してみれば会場内に彼の姿はなかった。既に帰途についたのだろうかと執事に聞いてみるが、まだ御者も馬車もあると言われて首を傾げた。
 まさか、人の屋敷で色事にうつつを抜かしているとは思えないが、絶対にないとは言い切れないのがベルナールだ。
 イエルグスは従兄弟の姿を探す為に会場を離れた。控え室や近場の部屋を覗き、それから庭に出る。すると、噴水の傍のベンチに二つの人影を見つけた。
 そのシルエットから一人がベルナールであることを確信し、一緒にいるのはやはり女性かとため息をつくが、それが誰か理解するとイエルグスは目を瞠った。
 二人身体をずらして向かい合うように同じベンチに座り、ベルナールが女性の両手に自分の手を添えて慈しみに溢れた表情で何かを話している。その相手はイエルグスもよく知っている人物――仮面の秘書セルディーナだった。
 月光に照らし出された銀の仮面は見間違えようがない。そして、彼女の口元が三日月のような弧を描いているのもイエルグスの目にははっきりと映った。
 これは密会なのか。
 まさか、ベルナールとセルディーナが?
 想像もしたことのない組み合わせにイエルグスの頭は混乱する。

従兄弟 1

2007年07月19日 10:39

<「Mask 夜の訪問者」の前後>


 イエルグスの26歳の誕生日、モンテーニュ子爵家では誕生パーティーが開かれていた。
 集まってきたのはモンテーニュ家に連なる人々や、イエルグスの友人達。
 様々な人々から祝福の言葉をかけられて楽しんでいたイエルグスは、周囲の視線が一箇所に集まっていくのを感じて自分もそちらの方に視線を遣った。
 人々の視線はこちらに真っ直ぐと歩いてくる人物に注がれていた。
 すらっとした長身、真っ直ぐな長い髪、端整な顔立ち。彼の優雅な一挙一動は人々の目を捉えて離さない。そして、どこか退廃的な雰囲気がまた多くの女性を魅了するのだ。
 二つ年上の従兄弟ベルナールはイエルグスのところまでやってくると、穏やかな笑みを浮かべた。
「やあ、イエルグス。誕生日おめでとう」
 彼の笑顔に、イエルグスの周りにいた数人の女性が心を奪われている。いつものこととはいえ、それをあまり快く思わないイエルグスは半ば無理矢理笑顔を作り従兄弟の祝福に応えた。
「今日は来てくれてありがとう。ベルナールにこうして祝ってもらえて嬉しいよ」
「何を言ってるんだ。従兄弟じゃないか、当然だよ」
 ベルナールは軽く雑談を交わすと、「今日の主役を独り占めするわけにはいかないからね。一旦失礼するよ」と言ってイエルグスの集団から去った。彼が少し歩くとあちこちから女性が集まってきてたちまち新しい輪ができる。イエルグスはそれを苦い気持ちで見守った。
 伯爵家の跡取りで28歳、独身。あれだけの美貌の上に婚約者もなしとくれば女性が目の色を変えるのもおかしなことではない。何故結婚しないのか、決められた相手がいないのかはイエルグスの知るところではない。だが、全く女性の影がないかというとそうでもなく、彼には女性関係の噂が常につきまとっていると言っても過言ではない状況だ。イエルグスにとってそれは羨ましいかと問われればそうでもなく、未来のカルベス伯爵家当主としての自覚のなさについていけないでいる。
 去年だったか、ベルナールに結婚するつもりがないのかと尋ねたことがある。その時、彼はこう言った。
――そういうつもりはないよ。時期が来れば僕だって伯爵家にふさわしい女性と結婚するさ。え?今がその時だって?君にはそう見えるのかもしれないけど、僕はそうでもないんだよ。父もそれは認めてくれてる。うちにはうちなりの考えがあるということさ。
 その真意は未だに掴めない。ベルナールは時期と言うけれど、伯爵家の跡取りならば早く結婚して血を残すのが務めだろうに。けれどもベルナールは未だにふらふらと女性と噂ばかりを流している。

夜の訪問者

2007年07月18日 10:38

<「Mask 冷たい石」の夜の話>


 自室で椅子に座って本を読んでいたセルディーナはアンドレアに花を手向けていたイエルグスを思い出して苦い表情を浮かべた。
 馬鹿げている、あの中に入っているのはどこの誰とも知れない赤子なのに。
 しかしイエルグスにとってはそこに眠る者が血を分けた双子の妹アンドレアなのだ。だから事実がどうであろうと、彼が双子の妹の死を悼んでいることは紛れもない真実。
 セルディーナはそれを嬉しいと思ったことはない。寧ろ嫌悪感が募っていくばかりだ。
 何も知らないイエルグス。
 こんなに傍に死んだ筈のアンドレアがいると知ったらどんな顔をするだろう。
 そして、そのアンドレアがモンテーニュの破滅を願っていると知ったら?イエルグスから全てを取り上げようとしていると知ったら?
 あなたはどんな顔をするのかしらね、イエルグス。


 何かがぶつかるような音がした。
 顔を上げて視線を巡らせる。そして窓の外に見知った人影を捉えた。
 ベルナールだ。
 今は広間でイエルグスの誕生パーティーが開かれている。だから彼がこの屋敷にいるのはおかしなことではない。けれどもこんな奥の方の、使用人の宿舎に姿を現すだなんて。
 セルディーナは音を立てないように注意して窓を開けた。
「やあ、セルディーナ」
 ベルナールがフッと微笑む。
「ベルナール……どうしてここに?」
「どうしてって決まってるじゃないか。今日は君の生まれた日なんだから、共に祝いたいと思うのは自然なことだ」
「でも、パーティーは」
「どうでもいいから抜け出してきた。イエルグスにももう声をかけたから心配ないよ」
 そんなことを言っても、彼が会場から抜け出すのは難しかっただろうに。
 ベルナールはとてももてる人だ。今日も女性達に囲まれていたんだろう。
 女性との噂が絶えない人だけれど、それが真実でないことをセルディーナは知っている。彼の気持ちは疑うべくもない。現に、こうしてセルディーナのところに忍んできてくれている。
「誕生日おめでとう、セルディーナ」
 ベルナールの最上級の笑顔で祝福の言葉を受けたセルディーナも笑顔になる。その半分は仮面で隠されているけれど、ベルナールにはセルディーナがどんな表情をしているかわかるはず。
「ありがとう、ベルナール」
「そう思うならそこから出て来ないかい?少し歩こう」
「でも、誰かに見られたら」
 カルベス伯爵邸ならともかく、ここでそんな大胆なことは。
 今の立場で噂が立つと色々面倒だ。
「大丈夫、道がわかるところまでセルディーナに送ってもらうだけだから」
 そういうことにしておくから心配ない。
 不安がなくなるわけではない。けれど、彼が言うのなら。
「信じていいのね?」
「ああ。それに……」
 例え見られたとして、イエルグスの耳に入ったとしても、彼の不安要素が増えるだけだ。
 小声で囁かれてセルディーナは仕方ない人ね、と苦笑した。
「従兄弟を脅かすのがそんなに楽しい?」
「彼の方はね」
 からかうように尋ねれば、随分とあっさり言ってくれる。
 ベルナールがセルディーナ側の人間だとはいえ、イエルグスとは子どもの頃からのつきあいだろうに。
 けれども、子どもの頃からのつきあいならばセルディーナも負けはしない。
「じゃあ、<彼女>の方は?」
 同じ従兄弟でも、イエルグスよりも倍の時間をベルナールと過ごしてきたセルディーナに対しても同様の感情を抱くのか。
 ベルナールはまさかと笑った。
「そうだね、<彼女>はとても愛しく思うけれど、脅かしたいなんて思ったことは欠片もない。ずっとこの腕の中に閉じ込めておくことができないだろうかと、そんなことばかり考えているよ」
「まあ。あなたみたいな人に想われて<彼女>は本当に幸せ者ね」
「<彼女>はそう思っていてくれるかな」
「ええ、勿論」
 こんなにあなたに愛されて幸せだと思わないはずがないじゃない。
 伯爵邸ならば躊躇わず言える言葉も、仮面をつけている今は口にすることが適わない。
 けれども、このままベルナールと別れてしまうのも惜しくて。
 今日は誕生日なのだからこれくらいは許して欲しいと胸の中で呟く。
「……わかったわ、ベルナール。今そちらに出るから少し待ってくれる?あなたを広間の近くまで案内するわ」
 ベルナールの誘いに乗って、少しだけ夜の庭を散歩しよう。
 セルディーナが観念すると、ベルナールは満足そうに目を細めた。
「ああ。ここで大人しく待っているよ」
 だから早くおいで、セルディーナ。
 声無き声で告げられて、セルディーナは音を立てないよう慎重に窓を閉めた。そして部屋を出て、足早に外に向かった。

そして歌姫は

2007年07月18日 10:37

「楽しそうに歌うのね」

 最期の一小節を歌い終えたところで突然声をかけられた。
 驚いて振り向くと、帽子を深く被った女の子が入り口のところに座っていた。
 いつの間に?
 どうせ一曲歌うだけなんだからと鍵も借りずに無断で練習室に入り込んだのが悪かったんだろうか。
「ごめん、ここ使うつもりだった?すぐ出てくから」
 楽譜を腕に抱えると、彼女は「いいよ」と言った。
「使わないし、歌わないから、いい」
「え?」
 だったらどうしてここにいるんだろう。
「ねえ、楽しい?」
「へ?」
「歌うの、楽しい?」
 見上げられて覗いた顔に、あ、と目を大きくする。
 この人知ってる。この学校で一番有名な歌姫だ。
 澄み切った彼女の歌には学校中の誰もが憧れている。もちろん、私も。
「楽しいよ。だって、好きな曲だもの」
「歌は?」
「歌って?」
「歌うのは好き?」
「好きだよ。好きだからここにいるんでしょ。あなたもそうじゃないの?」
 どうしてそんな当たり前のことを聞くの?
 首を傾げると、彼女は自嘲するように笑った。
「私は違う」
「え」
 好きじゃないの?
 あんなに綺麗に歌うのに。
「ちょっと前までは好きだったの。でも今は違う。歌なんて嫌い。大嫌い。だからね、私はもう歌えない」
 彼女はパッと立ち上がった。帽子を深く被りなおして、振り返る。見えるのは、笑みを浮かべた口元だけ。
「あなた上手くなるよ。頑張ってね」
 それだけ言って、彼女は扉の向こうに行ってしまった。
 残された私は何が起きたのかわからずに途方に暮れてしまった。

 けれど、それから2、3日して。
 彼女が姿を消したと、学校は大騒ぎになった。

台風接近中

2007年07月16日 10:36

<「不完全な僕達」 香織&忍 高2>


 暇を持て余してゴロゴロしているところに、お気に入りの着メロが鳴り響いた。
 着信画面を見れば「藤見忍」の名前。
「もしもし」
<もしもしー、香織ちゃーん?>
「うん、香織だけど。どうしたー?こんな真っ昼間から」
<何もないよー。強いて言うならヒマ。でも家からも出れないし、することもなくてさ。だから香織ちゃんに電話してみました>
 みました、なんて言われても。
「うーん、まあねー。気持ちはわかるけど。この天気だし」
<台風だからねー>
 窓の外からはゴーゴーと恐ろしげな音が響いている。雨は斜めに降っていて窓の左上から右下を綺麗に直線で結んでいるくらいだ。とうてい外に出られる状況じゃない。
<香織ちゃんは今何してる?>
「雑誌見てる。音楽のやつ」
<なんか面白いの見つかった?>
「面白いのって何。普通、いいのあった?って聞くもんじゃないの」
<んー、いいのって言うと趣味があるしさー。俺と香織ちゃん結構違うじゃん>
 香織が好きなのは洋楽、忍がよく聞くのはJ−POP。
「まあね。大体、今見てるの洋楽の雑誌だから」
<うわー、出たよ。俺横文字ダメ>
「雑誌は日本語で書いてあるってば」
 どうやら忍は英語が好きではないらしい。実際、英語の時間はほとんど話を聞いていないし、テストも赤点近辺をうろついている。
「そうだよ忍。することないならたまには英語でも勉強すればいいじゃん。中間は赤点だったでしょ」
<酷っ!!そういうこと言うかなー。俺は天性の英語アレルギーなの!もう見るだけで呼吸困難に陥りそう>
「嘘。英文がプリントされたシャツとかバッグとか持ってるじゃん」
<ここで揚げ足取るかなー。んー、あれはデザインだからいいの。あくまでファッションなの>
「じゃあファッションの一部にもなる有難い英語を勉強するのもいいんじゃないの」
<鬼だ。鬼がいる……>
「そういうこと言うと切るよ」
<うわ、待って!ごめん!嘘、今の嘘!冗談だから!言い間違えだから!>
「冗談と言い間違いって全然違わない?」
<言葉のアヤだってば>
「まあいいや。ところでさー、忍、昨日のドラマ見た?」
<うん、見た見た。もうナオトの服が有り得なくて、俺大爆笑だったよ。存在してるだけでおかしいって。スタイリストすげーって思った>
「そこがツボ?まあいいけどさー。あたしはナオトよりも……」
 結局、その電話は携帯の充電が切れるまで続いた。

帰郷 −展望−

2007年07月16日 10:35

<Mask>


「久し振りだな。元気だったか?セルディーナ」
「はい、お陰様でご覧の通りです」
 セルディーナがにっこりと笑みを浮かべると、カルベス伯爵は目を細めた。
「手紙を読んだ。モンテーニュは大変なことになったな」
「はい。当主の方はまだ決心がつかないようですが」
「ほう、それは慈悲深いな。先代は迷わず判断を下したというのに」
「父さん」
 セルディーナと共に伯爵の書斎を訪れたベルナールが父の言葉を咎める。しかし、セルディーナは然程気にしていなかった。
「いえ、家を預かる者ならば当然の判断です」
「セルディーナ」
 ベルナールが眉根を寄せる。伯爵は息子の反応には目もくれずに、机の上で手を組んだ。
「イエルグスはどうすると思う」
「慣習に従うしかないでしょう。あの人がどれだけ嫌だと言っても、一族の者が許すはずがありません」
「双子のどちらも自分の子供か。なるほど、アメリアに似ているな。流石息子といったところか」
 十年前に亡くなった妹のことを思い出したのか、伯爵の瞳が僅かに曇った。流行り病にかかり、最期は食べ物も喉を通らず、変わり果てた姿で天に召されたという。肖像画でしか実の母の顔を知らないセルディーナにとっては、自分の命を救ってくれたことに対する気持ちばかりの感謝しか抱くものはない。
「あの人は、自分の半身を失った悲しみを自分の子どもには味あわせたくないんだそうですよ」
 醒めたセルディーナの言葉に、伯爵とベルナールは顔を見合わせた。
「それはまた大層な理由だな」
「悲劇の主人公気取りかい?興醒めだね」
「そうとも言い切れんぞ、ベルナール。イエルグスがある一つの物語の悲劇の主人公だということに変わりはない」
 その物語を紡ぎだすのはセルディーナ達のはずだった。
 しかし今、双子が誕生するにあたって、セルディーナが直接手を下さなくても自然に彼が不幸になる道ができあがっている。
「セルディーナ、お前はどうしたい」
 伯爵に問われて、セルディーナは兼ねてより考えていたことを口に出す。
「もう少し様子を見るべきかと。今はまだ彼の気持ちが揺れています。私は慣習に従うように働きかけていますが、どちらを選ぶかはわかりません。しかし、どちらに転んでもこちらに不都合はないかと」
「私もお前に賛成だ。それでは引き続き頼む」
「はい、承知致しました」
 セルディーナは深く頭を下げた。

帰郷 −素顔−

2007年07月15日 10:33

<Mask>


 セルディーナが持ってきた荷物を片付けていると、ノックが響いた。
「入るよ、セルディーナ」
 セルディーナが返事をする間もなく部屋に入ってきたのはカルベス伯爵の一人息子ベルナールだ。
 長身で長い髪を一つに束ねた彼は男にしては線がやや細く、どこか憂いを秘めた表情や全身から発せられる雰囲気は退廃的なものを感じさせる。
「夏以来だな、セルディーナ」
「ええ、ベルナール様。ただいま戻りました」
「せっかく帰ってきたんだ、ここでくらい顔を出しておくれ」
「はい」
 セルディーナが仮面を外すと、ベルナールの表情が和らいだ。セルディーナも久々に間近で見るベルナールに笑顔を浮かべる。
「相変わらず美しい」
「全く同じ顔があるじゃない」
「同じ顔でもあっちは男だ。君の方が華があるし、その翳も曇りも、あいつにはない君だけの魅力だ」
 ベルナールは手を伸ばしてセルディーナの顔に触れた。セルディーナも同じようにベルナールの頬に触れる。
「あなたがそう言うなら、信じてもいいわよ」
 この実の従兄弟とは幼い頃より実の兄弟のように接してきたが、今では誰よりも親しい関係にある。セルディーナが帰省で何よりも心待ちにしているのはベルナールと過ごす時間だ。
「もう父さんのところには行った?」
「いいえ、これからよ」
「それは残念だな」
 ベルナールはセルディーナの額に唇を落とす。
「今日はセルディーナとずっと一緒に過ごそうと思ったのに」
「今日だけ?」
 セルディーナが囁くように尋ねると、ベルナールはクスクスと笑った。
「まさか。休みの間中、ずっと一緒だ」
 久々の逢瀬なのだから。そう言ってベルナールはセルディーナを抱き締める。
「嬉しい。それでこそベルナールよ」
 セルディーナはベルナールの顔を引き寄せて唇を重ねた。

帰郷 −誕生−

2007年07月14日 10:32

<Mask>


 3ヶ月ぶりに入る自分の部屋は、塵一つなく美しく整えられていた。
 季節に一度の帰省。セルディーナは「後見人」の下へ帰ってきた。
 天涯孤独の身となっているセルディーナだが、素性のはっきりしない者が子爵家当主の秘書になれるわけがない。
 セルディーナは現当主イエルグスの母アメリアの兄カルベス伯爵の妻の遠縁の娘ということになっていた。両親を流行り病で亡くし、身寄りがなくなったところをカルベス伯爵が手を差し伸べ、伯爵家に身を寄せることになった。但し、使用人としての身分であって養女ではない。秘書を探していたイエルグスに当時伯爵家で秘書をしていたセルディーナを紹介したのは他ならぬカルベス伯爵だった。しかし、あくまで紹介しただけで伯爵がセルディーナの肩を持ったり彼女への待遇のことでイエルグスに不満を言ったりということはない。伯爵にとってセルディーナは身内ではなく使用人でしかない。だから後見人と言っても実際は何の後ろ盾もないようなものだった。
 だが、それは真実ではない。
 表向きはセルディーナの後見人となっているカルベス伯爵は実際にはただの後見人ではなくセルディーナの育て親に当たる。
 セルディーナの母アメリアは腹の子が双子だと知り、兄であるカルベス伯爵に救いを求めた。
 双子とはいえ、どちらも死なせたくない。どうか子どもを助けて欲しい。
 カルベス伯爵はそれに応じた。伯爵は忌まれた赤子を他の赤子にすり替え、モンテーニュ子爵家の領地からは遠く離れたところで密かに育て上げた。その真意が善意だけではないと知ったのは、あの日のことだった。
 伯爵が自分の父でないことは知っていた。また、自分が双子の妹であり、殺される筈の存在だったことを。
 しかし、自分の正体をはっきりと知ったのは10歳の時だった。
 領地が隣接しているモンテーニュ子爵家の長女で、双子でなければ何不自由なく幸せなお嬢様として育てられていたであろうことを。現に、双子の兄は大事な跡継ぎとして丁重に育てられていると。
 それを知った時、セルディーナの胸に暗い感情が生まれた。
 自分はこの世で生きることを許されなかったのに、一緒に生まれてきた兄弟がのうのうと幸せに生きているというのが許せなかった。
 伯爵がセルディーナに与えた環境に不満があったわけではない。伯爵はセルディーナに自分の子ども達とほとんど変わらない待遇を施していた。綺麗なドレス、美味しい食事、貴族としての教養。住む家こそ伯爵と一緒ではなかったが、セルディーナも充分にお嬢様暮らしをしていた。そのせいで使用人達がセルディーナのことを伯爵の隠し子だと思っていたようだ。
 それなりに恵まれた環境にいたセルディーナだったが、両親に愛されて育っている兄の存在は許せなかった。
 その日から色々考えた。
 自分のこと、兄のこと、モンテーニュのこと、伯爵のこと。
 そして、15歳になった日、セルディーナは自分の想いを伯爵に伝えた。
――私はモンテーニュを、兄を憎く思います。
 それを聞いた伯爵は待っていたとばかりに笑みを浮かべた。
――ならばモンテーニュを破滅に追いやるか?
――そんなことができるのですか?
――不可能ではない。お前次第だ、セルディーナ。
 伯爵にとってセルディーナはモンテーニュ子爵家に対する最高の切り札だった。
 モンテーニュ子爵家は伯爵の妹の嫁ぎ先であったが、カルベス伯爵家とってはなかなか目障りな存在だった。機会があれば潰したいと考えていたところに、妹から双子の片割れを助けて欲しいと救いを求められた。
 双子は不吉なもの。二人とも生かしておけば必ず家を滅ぼす。
 カルベス伯爵にとってそんなものは迷信でしかなかった。しかし、今度ばかりは信じてみるのも面白いと思った。生まれてくる子はモンテーニュの血が入っているとはいえ、カルベス家に連なる人間でもある。そして、自分の甥か姪にあたる者だ。その子どもを引き取ることは構わない。しかも、その子どもが将来的にモンテーニュに対する脅威になる可能性を持っているとしたら。これ以上の楽しみはない。
 セルディーナはそんな伯爵の思惑に乗った。
 利用されているとかそういうことは深く考えなかった。
 自分の気持ちだけが全てだった。
 それから少しして、セルディーナは使用人としての生活を始めた。始めは小間使いの仕事から入り、次第に家の中の色々な仕事を覚え、最終的に秘書の仕事を覚えた。実際に秘書として2年間、カルベスの元で働きもした。その為に伯爵所有の別邸から本邸に移り、それと同時に仮面をつけるようになった。
 そして2年前、伯爵のおかげでうまくモンテーニュ子爵家に取り入ることができた。前々から伯爵やその息子から聞いていたものの、兄の顔が全くと言っていい程自分と瓜二つなのには驚いた。男女の差はあるものの、誰から見ても血が繋がっているのは明白だ。仮面があって良かったと心の底から思った。

放課後、職員室にて

2007年07月11日 10:31

「俺はね、前だけを真っ直ぐ見てるんですよ。
 後ろなんか当然振り返らないし、足元だって見ない。
 自分が歩んで行くべき道の向こうだけ見てるんです。
 人間ってのはそれでいいんですよ。
 ほら、自転車に乗ってる時も、進行方向を見て走るでしょう?
 自転車に乗りながら下見てると、どっかにぶつかって危ないですし。
 下手すりゃ転ぶし。
 そういうもんなんですよ。
 だから俺は普段から絶対に先だけを見ることにしてるんです。
 これが俺の人生ってやつなんですよ!!」

「言い訳はそれで終わりかな?」

「言い訳じゃありません、俺の人生観です」

「人生観と生活・行動は別の話でしょう。
 あのね、前向きに生きてくのは素晴らしいことだと思うわ。
 でもね、実際に廊下を歩いてる時に足元や脇の方を見ないのは危ないでしょ。
 もし下にロープが張ってあったらどうするの」

「それは陰謀です」

「そうじゃなくて、どうやって回避するって言うのよ」

「回避しません!!俺は全力で緊急事態に立ち向かいます!!」

「頭冷やしなさい。あなたね、それで花瓶にぶつかって壊してたら世話ないわよ。
 どうするのよ、あれ校長先生のお気に入りよ。毎朝あれを磨かないと校長先生の一日が始まらないって代物なのよ」

「勿論、校長先生はこの事態を全力で耐え、前を見て生きていくべきだと思います」

「意味不明。いい?あなたは花瓶を割った、校長先生は花瓶を割られた。
 つまりあなたが加害者、校長先生が被害者。さあ、あなたがするべきことは?」

「校長先生を励ます!!」

「謝りなさい!!!!」

アイ・ラブ・ユー

2007年07月09日 10:29

 土曜の午後、久し振りに晴れたので彼女とデートを楽しんでいると、彼女がふと歩みを止めてショーウインドウをじっと見つめていた。
 ガラスケースの中に飾られているのは新作のブランドアクセサリー。しかし、彼女はそんなものを見ていない。その視線は、ガラスに映った自分にのみ注がれている。
 嫌な予感がして、俺は彼女の腕を引っ張った。
「おい、行くぞ」
 すると、彼女は振り向いてこう言った。
「ねえ、なんであたし、パーマかけたんだろう」
 また始まった。
 俺はうんざりして肩を落とした。


 はっきり言おう。
 俺の彼女は、おかしい。


 それが物覚えが悪いとか、勉強ができないとか、そういう次元ならまだマシだ。
 しかし、彼女のそれは並じゃあない。


 自分の髪をいじって遊んでいたかと思えば、
「ねえ、どうしてあたしの髪は茶色なのかな」

 テレビにヒヨコが映ると、
「ねえ、なんでヒヨコって黄色いのかな」

 マクドナルドで注文を決める時に、
「どうしてハンバーガーばかりなの?」

 自分から選んでおいて、
「ねえ、どうしてそっちがそばであたしがうどんなの?」


 その度に俺はうんざりする。


「お前がその色がいいって言ったんだろ」

「生物学者に聞いてくれ」

「バーガーショップだからこういうもんなんだよ」

「そばもあるのにうどんを選んだのはお前だろ」


 どうして俺の彼女はもっとまともな疑問を抱かないんだろう。
 そのうち、「なんであたしあんたとつきあってるんだろう」なんて言い出すんじゃないかと思うと気が気じゃない。


 でもあんな彼女とつきあってるとやっぱり時々思わずにはいられない。


 なんで俺、こいつとつきあってるんだろう?


 答えなんて簡単だ。
 

 どれだけうんざりしても、疲れても、呆れても、それでも俺はこいつが好きで好きでしょうがないんだよ、バカヤロウ!!

繰り返される歴史

2007年07月08日 10:28

<「Mask」>


 イエルグスの奥方ミレーネが宿した赤子が双子だと告げられたのは、今にも雨が降り出しそうな鉛色の空が広がる日だった。

 医師が重苦しく放った言葉が薄暗い部屋に重い空気となって溶けていき、医師が去った後にも嫌な重苦しさだけが残された。
 セルディーナは凍りついた主の表情を一瞥する。
 驚くのも無理はない。古来より双子は不吉なものとされる。双子が生まれたら、どちらか片方を殺さなければ家に不幸をもたらす。その慣習の為に、イエルグスは生まれてすぐに双子の妹を失っている。そのことに罪悪感を抱いている彼だから、今回のことはよけいに衝撃的だったに違いない。
 生まれてくる子どもが双子ということは、すなわち。
 一人を失わなければならないということだ。
「そんな……」
 力のない声が虚しく響く。
「よりにもよって、双子だとは……」
 二代にも渡って、当主の最初の子どもが双子だとはどういう因果だろう。セルディーナはもし自分に子どもができたらやはり双子なのだろうかと考えて、馬鹿なことを、と雑念を頭から振り払った。
 とにかく。
 セルディーナでさえ因果めいたものを感じたくらいだ。当のイエルグスはもっとそれを感じただろう。
 恐らく、アンドレアだろうか、それともアンドレアの呪いだろうか、とでも考えているはずだ。
 少なくともアンドレアの呪いでないことは確かだ。セルディーナ自身が他でもない殺されたはずのアンドレアなのだから。
 しかし、呪いの可能性も捨てきれないと思ってしまうのは、地下墓所に眠るセルディーナの身代わりに殺された「アンドレア」の存在を思い出したからだった。
 まあいい、呪いかどうかなんて関係ない。
 しかしこれは面白い展開ではないか?
 モンテーニュ子爵家に生まれる子どもが双子だとは。
 これはセルディーナが待っていた時機が訪れたのかもしれない。
 イエルグスを破滅へと陥れる、チャンスが。
「イエルグス様」
 意識して冷徹な声で呼びかけると、イエルグスは落としていた視線を僅かに上げた。そこに見える恐怖の色に、セルディーナはゾクリと身体の中で何かが動くのを感じた。
「セルディーナ、私はどうすれば……」
「イエルグス様がなすべきことはただ一つ。片方の御子を天に返すのです。これは古きより伝わる慣習です」
「しかし、どちらも私の子どもだ!わが子を手にかけるなどできるはずがない」
「先代も同じ立場でいらしたことをお忘れならさぬよう」
「しかし、私は自分の半身が生まれてすぐに失われた悲しみを知っている。私の子どもにはそんな思いをさせたくない……」
「子爵家の為です」
「だが!」
「イエルグス様!!」
 声を荒げる主に負けじとセルディーナも声を張り上げた。
 イライラする。
 顔の半分を覆うがあって良かった。もしこれがなければ、怒りに燃え上がる瞳を隠すことはできなかった。
 アンドレアを失った悲しみ?
 アンドレアが殺された時、自分は自我すらない赤子だったくせに。成長してから双子の妹のことを知らされ、罪悪感を抱いたから何だと言うのだ。
 殺されるはずの命だったと知らされた時のセルディーナの衝撃に比べればなんてことはない。イエルグスに近づく為に本来しなくてもいい使用人の生活をし、仕事を覚えなければならなかったこの屈辱感も。セルディーナを排斥した子爵家で働くという憎しみも。
 何一つ、知らないくせに。
「イエルグス様、あなたは当主なのです。私情はお捨て下さい」
「できない、私には……」
「慣習に従わなければ子爵家に災いが訪れます。家の為に何をしなければならないか、冷静に考えなさいませ」
「セルディーナ……」
「いいですか、イエルグス様。イエルグス様がそのようにおっしゃっても一族のほとんどの方はお認めにならないでしょう。そうなると、結局誰かがお子様に手をかけることになります」
「なっ……」
 そうだ、双子は不吉。家を滅ぼす悪魔の子。
 イエルグスが拒否しても、一族の古参は絶対に許さない。
「それを哀れとお思いになるのならば、覚悟をお決め下さい」
 セルディーナが厳しく言い放つと、イエルグスは頭を抱えて机に伏した。
 今はこの辺にしておくべきだ。一度に追い詰めても意味がない。
 セルディーナはイエルグスの執務室を退室し、次の行動を考えながら秘書室に足を進めた。

冷たい石

2007年07月06日 10:26

<「MASK」>


 地下へと続く扉を開ける。下へと続く階段の奥は薄暗く陰鬱なく雰囲気が漂っている。
 セルディーナは燭台を持ち、階段を降りはじめた。

 天気のいい日なのに何故こんなところに来なければならないのか。
 面倒な気持ちを仮面の下に隠し、セルディーナは目の前に現れた扉を開く。少し離れたところで灯りを持って佇むイエルグスの姿を見てここにいたのかと息をついた。
「イエルグス様」
 声をかけると、主は振り返らずに「セルディーナか」と言った。
 それ以上何も言わないことを近づいてもいいという許可だと捉え、セルディーナはイエルグスの傍に足を進めた。
「こちらにいらっしゃったのですか」
「……ああ」
 昼下がりに突然執務室から姿を消した主がいたこの場所は、地下墓所。代々の領主や妻達の眠る棺が並べられている光景は見ていて心地良いものではない。例えそれがセルディーナにとっても血が繋がったものであってもだ。
 それにしても、とセルディーナはイエルグスがずっと視線を離さない小さな石造りの棺に目を遣った。その上には、色鮮やかな花束が置かれていた。
「墓参りですか」
「ああ。今日は、命日だからな」
「存じております」
 棺に刻まれた名前はアンドレア。26年前の今日、生まれて数時間後に殺された娘がここに眠っている。
 自分の誕生日であるこの日にわざわざここに出向いて花を手向けるイエルグスはどうやら生を享けて間もなく命を散らされてしまった双子の妹に対して罪悪感を抱いているらしい。
 どうせそこに入っているのはどこの誰とも知らぬ赤子の骸でしかない。けれどもそれを知らないイエルグスにとっては、そこに眠る者こそがアンドレアなのだ。正真正銘のアンドレアが傍にいるとも知らずに。
 セルディーナが初めて地下墓所を訪れたのは2年程前のことだった。墓参りをするイエルグスに付き従っていて、ここに自分の墓があることを知った。まともに埋葬されてはいないだろうと思っていたセルディーナにとって、この場所に、紛れもない一族の一員として葬られていたという事実は非常に驚くべきことだった。
 双子は不吉。家を滅ぼす悪魔の子。
 古来からそう言われてきた。だから双子が生まれたら、どちらかを殺すのが慣習になっていた。
 生かす殺すの判断はこれ以上ないくらい簡単だ。同性の双子ならば先に生まれてきた方を、異性の双子ならば男児の方を育てていく。後から生まれてきた赤子や女児は劣っていると見なされ、より優れた方が生きていく権利を得る。それだけのことなのだ。
 セルディーナもかつて異性の双子の女であるというだけで殺されそうになった身。母のたっての願いで密かに死を免れたものの、本来の名前で生きていくことを許されなかったことを未だに恨んでいる。自分にアンドレアなんて名前があったことすら知らなかった。
「アンドレアが生きていたら」
 空気に溶け込むように発せられた低い声に、セルディーナは小さく首を動かした。
「今頃、母親になっていたのだろうな」
 そうかもしれない。
 十代の終わりにどこかの有力貴族のところに嫁いで、今頃は2、3人の子どもがいたのかもしれない。
 けれども、セルディーナはここにいる。
 正体を偽り、仮面で顔を隠し、イエルグスの秘書として働いている。
 しかしそれはあくまでセルディーナとしてであって、アンドレアではないのだ。
 アンドレアなんて女はこの世にいない。ここにいるのはセルディーナだ。復讐を誓い、兄に近づき、機を窺っている女だ。
 だからいらない。
 イエルグスが罪悪感を抱く必要もないし、アンドレアの死を悼む必要もない。そんなものは余計な想いだ。
「そのようなことをおっしゃらないで下さい」
「セルディーナ」
 ようやくイエルグスがこちらを向いた。アンドレアは口元に笑みを浮かべる。
「イエルグス様がいつまでもアンドレア様のことをお嘆きになることを、アンドレア様はお望みにならないでしょう。しっかりして下さいませ、イエルグス様。もうじき父親になるという方がそのように弱気になってはいけません」
「……セルディーナ」
「アンドレア様が生きていらしたら今頃母になっていたのだろうと思うのならば、イエルグス様が良い父になればよいのです」
 そう告げると、イエルグスは再び視線を棺に戻した。少しの間無言でいたが、やがて、顔の表情を緩ませた。
「そうだな」
 イエルグスが頷くのを見て、セルディーナも頷いた。
「そろそろ戻りましょう、イエルグス様」
「ああ。すまなかった」
「いえ、では参りましょう」
 セルディーナは燭台を掲げ、イエルグスを先導する。
 少しでも早く外の新鮮な空気が吸いたかった。

マスク

2007年07月04日 10:23

「イエルグス様、西の伯爵より嘆願書が届いております」
「西の?どうせ税金を下げろとでも言うのだろうな」
「それはご自分の目でお確かめ下さい」
 美しい装飾を施した封筒を差し出すと、細長い真っ白な指が緩慢な動きでそれを取る。
 朝日に輝く金の髪に、新月の夜よりも深い闇色の瞳。
 ああ、私の主はなんと美しいことか。
 嘆願書を読んでいる姿に目を細めていると、イエルグスは微かに眉間に皺を寄せた。
 なるほど、どうやら気に入らない内容だったらしい。
「……下らない。こんなものは受け付けられないと言っておけ」
 返信は任せるとの指示に、かしこまりました、と頭を下げる。
「時にセルディーナ」
「はい」
 退室しようとしたところで声をかけられ、姿勢を改める。
「いつまでそれをつけているつもりだ」
 それ、と言うのはセルディーナの顔半分を覆う白銀の仮面のことだ。イエルグスの秘書になって2年、仮面の下に隠された素顔を見た者は誰一人いない。
「いつまでとおっしゃいましても。醜い痕を人々に晒すなどできるはずがありません」
 セルディーナの顔には不幸な事故で負った醜い火傷痕がある。この屋敷で働く者ならば知らない者はいない。
「お前は夫となる者の前でもそのままでいるつもりか」
「私には婚約者はおりませんし、伴侶を迎えるつもりもございません」
「人並みの女なら、幸せになりたいだろう?」
「私は人並みではありませんので。そのような幸福も望んでおりません。お話はそれだけでしょうか?でしたら、仕事に戻らさせていただきます」
 無理矢理話を終わらせ、部屋を出る。秘書室に戻る足の速さは平素と変わらない。しかし、仮面の下の瞳はきつくなっていた。

 秘書室に戻り、自分の椅子に腰を下ろしたセルディーナは西の管理人に宛てる手紙を書く準備をしながら先程のイエルグスの言葉について考えていた。
 イエルグスは私を解雇したくなったのか。結婚をほのめかすなんて。まさか本気で結婚させようとは思っていまい。よりにもよって顔に傷のある女と結婚しようという男などどこにもいない。それが大貴族の娘や経済力のある家の娘ならば話は別だ。しかし、セルディーナは何の後ろ盾もない天涯孤独の身。実力だけで領主の秘書官までのし上がってきた女だ。
 最近は大分慣れてきたとはいえ、始めの頃は皆仮面の女に怯えるような視線を向けてきた。セルディーナは異質なものを見る瞳の冷たさを身をもって知った。今でも周囲の者は仕事以外ではセルディーナに話しかけようとはしないし、近寄ろうともしない。イエルグスはそんな秘書官は面倒だとでも判断したのだろうか。
 それともなんだ、どうしても仮面を外させたいのか。
 火傷を負った女の顔など見て何が楽しい?私の主はそんなに悪趣味だっただろうか。
 いや、そんなことはない。政略結婚とはいえ、イエルグスの妻はそこそこの美人だし、彼が親しくしている女達だって見目が良い。
 そもそも、仕事以外の場面で人が嫌がるようなことをするような人ではない。
 そこまで考えて、まさか、と一つの可能性を導き出す。
 イエルグスはセルディーナの嘘に気づいているのか。
 本当は火傷の痕などない。仮面の下は普通の女と同じように白い肌があることに気づいたとでもいうのか。
 だとしたら少々厄介なことになる。しかし、何が何でも仮面を取るわけにはいかない。
 この冷たい仮面の下に、美しい主と同じ顔があることを誰にも知られてはならない。ましてや、セルディーナが生まれてすぐに殺されたはずのイエルグスの双子の妹であることなど、絶対に知られてはならないのだ。
 まだ、時機が来るその時までは。
 イエルグスから領主の座を奪い、全てをこの手に取り戻すまでは。

養子談義

2007年07月01日 10:18

「俺、養子になることにしたんだ」
「養子ぃ!?」
 なんなの、いきなりどうしちゃったわけ?
 え?なんで?初耳なんですけど。
「え、なに?親戚に子どものない夫婦がいるとか?」
「いや、そうじゃないけど」
「親戚じゃないの?」
 でもまさか、他人のところに養子に行くとも思えないんだけどなあ。
 大体、この人26歳ですよ。この歳で養子って、やっぱりどっかの家が跡継ぎがなくて困ってるから助けにいきますー的なもんじゃないの?
「親戚じゃないけど」
「じゃあどこなの。って言うかそれは既に決定事項?」
 ただの妄想じゃないでしょうね。
 そりゃ、家のことだから、私が口出しなんてしちゃいけないんだろうけどさ。でも、こっちはこの人と結婚するのかなーなんて思ってたんだから。自分の将来の苗字が気になって何が悪い。いや、苗字以前に姑が2人になる方が問題かもしれない。あ、それは流石に嫌かも。
「あー、正式に決まったわけじゃないけど。でも俺の中では決定事項?」
「はあ。で、正式に決まる前に私に教えてくれたってわけね」
「いや、正式に決める為にまずはお前にこうして伺いを立ててるんだけど」
「へ?」
 どういうこと?
 意味わかんないと眉を潜めた私に、目の前の男は突然真剣な顔になり、居住まいを正した。
「俺を婿養子にしてくれ!」
 思い切り頭を下げられた私は意外な言葉に石化してしまい。
 それが人生で初めてのプロポーズだと気づくのに、しばらく時間がかかった。